ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:「想定外」と感じるのはなぜ?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

今日から10月

変化は常にあります。

万人に対する変化がは意図的に計画的に行われます。

万人の意思とは関係なく

「想定外!?」を感じる間もなく

 

 

今日の疑問:「想定外」と感じるのはなぜ?

 

耳タコかもしれませんが、思考が先・現実が後

ならば、「想定外」は存在しません。

存在しえません。

ところが、人それぞれ「想定外」を感じることあったりします。

それはなぜでしょう?

 

「想定外」と感じるのは、「頭では考えていなかった。」ということです。

想像していなかった現実が起きたということです。

しかし、そもそも想定外の想定内も無いに等しいのです。

 

これも耳タコかもしれませんが、頭で考える。即ち「顕在意識」です。

その反対が「無意識=潜在意識」です。

だから、自分の思考(頭)の外側にあること全てが「想定外」と勘違いしてしまいます。

「そんなはずはない」・「あり得ない」と感じるわけです。

そのことで感情が予想以上に乱されることがあります。

そして、乱れた感情のまま次のことを考えるわけです。

つまり、本当の自分ではない状態で・・・

「なんとかしよう」と頭だけで考えがちになります。

余計に自分が目指す場所にたどり着くことが難しくなります。

これ、何年か前までの僕です。(苦笑)

 

 「何とかする!」の根本的理由を考えてみましょう。


 

思考が先・現実が後。

耳タコといいつつ、言い続けるのは忘れるからです。

簡単なことと思いつつ時々忘れちゃうんです。

なぜか?

自分が自分で居れない状況に陥るからです。

何かの影響を強く受けるからです。

例えば「忙しい」と感じる状況。

忙しいと感じるのは時間的要因と精神的要因があります。

このどちらかが、または両方の「ゆとり」がない状況です。

ゆとりがある自分とゆとりのない自分をそれぞれ想像して下さい。

同じ現象が起きても、ゆとりのある時とない時では反応やら、対応が違うと思います。

例えば、電車が急停車してぶつかられた時。

言葉にするしないは別にして

ゆとりがない時は「なんだよ!怒」とか「いて~な・怒」と感じます。

ゆとりがある時は「大丈夫ですか?」と声をかけるかもしれません。

同じ事象が起きても、その解釈は自分自身によって決められるということです。

結局、どんな現実も自分自身でつくっているのです。

 

「 思考の癖」の継続が「習慣」をつくります。


 

だから僕は「自分が自分で居るにはどうしたらいいのか?」を優先することにしました。

それが前回記事でも述べましたが

我慢しない。

なんとかしない。

がんばらない。

更に、時間での縛りを開放しました。

セカセカしない。

必死にならない。

これは仕事(組織)から離れることで実現できました。

「ゆとり」の意味。

自分が自分で居ることの意味。

環境(居場所)がいかに大切か

この他にもいろんなことを知りました。

同時に、随分と窮屈な「今」を過ごし続けてきたのかもわかりました。

 

 ①やめたこと。

 

②はじめたこと。


 

今もまだ長年続けてきた我慢の習慣が残っています。

だから、頭で分かっていても出来ないこともあります。

結局、言葉で何言っても、頭で何考えても、本音が現実するってことです。

例えば、「心配が実現しちゃった~」というのはそういうことです。

上手に?波動を使った“波動使い”なわけです。

だから僕は楽しいことを想像し、楽しい現実を創造する「波動使い」になろうと決めたんです。(笑)

 

嫌なことはすぐにスルー

だけど、「直感」だけはスルーしないように心がけています。

 

 

想定外なんて、あくまで自分の頭(顕在意識)の中の話です。

想定外も想定内もありません。

自分の頭でその境目をつくっているだけってことです。

 

 

また、「想定外」ってことを別の視点から少し考えてみます。

よく僕は「支配者」・「権力者」などという表現をします。

この人達は、それこそ僕ら庶民には持ち合わせていない思考を持っているのです。

だから多くの庶民は「そんなはずがない。」「あり得ない。」・「嘘でしょ!」となっちゃうんです。

自分の頭の中と経験の範囲内で考えるから気付かなかったりするんです。

「そんな大掛かりなことを?」とか「マジで?(疑い)」とか・・・

上手く説明できませんが、見聞きしたものの何が本当で何が嘘なのかは概ね判断が出来ます。

その前に、「自分に関係ないや」と思ったことなら、嘘か本当かの判断すら必要ありませんけどね。

そりゃ~間違いもあるでしょうけど、なんとなくわかるんです。

そして、大き過ぎる嘘」ほど気付かれにくいということもわかりました。

 

 「事件」そのものが加工されつくられています。

その中に映し出されているはずの「大き過ぎる嘘」に気付かれないように。


 

繰り返しになりますが「想定外」は起きません。

全ての可能性は常に存在しています。

なぜなら思考で創られるから。

これからの現実は、自分の心身のコンディションであり日常の思考の癖で変えられます。

 

 「人生」っていうと仰々しいですが、これまでの「今」であり、これからの「今」ですから。


 

自分がどうしたいのか?どうありあたいのか?

結局、自分の思考が全ての現実を創造しているということです。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。