ゆるむ@ ゆるんで・今を楽しく・次の今も楽しく(#^^#)

ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:「悔しい」と思うのはなぜ?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

金曜の夜、電車の中で赤ら顔しながら「悔しい!」を連呼する人がいました。

「悔しい?何が悔しいんだろ?」

話す声も段々ボリュームアップです。

けど、“ま、いっか”ってことで意識を切り替えました。

 

 

今日の疑問:「悔しい」と思うのはなぜ?

 

僕個人が「悔しい」って本気で思ったことあるのかもしれませんが記憶にありません。

テストがさほど出来なかった時も

サッカーの試合で負けた時も

また、これまで生きて来て何かが出来なかった時

誰かに批評(否定)された時

誰かに叱られた時

理不尽を感じた時

多少の悔しさ?らしきものがあったとしても、薄く、そして浅いものです。

逆に「悔しくないの?」と煽られたことはあります。(苦笑)

ただし、「支配されている。」と感じる状況に無力だったことには「悔しさ」感じていました。

ゆとりが無い時ほど・・・

だから、今はそのような状況に身を置かないよう心掛けています。

 

 

そもそも「悔しさ」って感情はどうして湧き上がってくるのでしょうか?

誰かと比較するからです。

誰かと競争するからです。

誰かに期待するからです。

誰かに何かに合わせるからです。

頭で考えたとおりにならないからです。

そして、自分が我慢するからです。

「何かが足りない。」と思い「もっともっと」と欲しがるからです。

セルフイメージが低下し、自尊心を忘れているからです。。

ゆとりが無いからです。

 

 

「“悔しい”という感情は不要だ!」と言っているのではありません。

むしろ感情はドンドン外に出し、昇華することです。

他人の目を気にしないことです。

言葉にするのは簡単だけど、難しいと思っている人には難しいんです。

僕も、ず~~~っと出来なかったひとりです。

 

 

僕が初めて“悔しさ”について考えたのは中学になってからです。

中学になると、誰もが見れるよう学年ごとにテストの結果が1番からある程度の順番まで張り出されます。

母に聞いた話ですが、隣のおばさんに「これからは競争だよ!」と言われたそうです。

隣の家は親同士も同級生で僕の同級生も弟の同級生も居ました。

その影響で僕が中学になってからは、これまでの関係性が一気に変わりました。(苦笑)

僕はそもそも競う気がありません。

だから?さほど勉強した記憶もありません。(笑)

好きな教科は好きだから勉強しましたが、それ以外はさほど目もくれませんでした。(苦笑)

毎回やっただけの結果だったと思います。

順番を張り出され、勝った負けたという大人達や同級生も居ましたが、そもそも比較されるのが大嫌いだったので、自分の中ではどうでもいいことでした。(苦笑)

母に「悔しくないのか?」と聞かれ、「悔しくないよ。」と答えると、母はあきれ顔でした。(苦笑)

「ホントに悔しくないのか?サッカーで負けても悔しくないのか?」などとスポーツまで持ち出されました。

僕は繰り返し、「悔しくない」と言いました。

なぜなら、勉強に関してはやっただけの結果が出ているし

部活に関しては、目一杯やり切ったという思いがあったからです。

 

 

社会人になってまもなく、会社組織ってものがどういったものなのかどういったものなのか、概ね想像がつきました。

時を重ねる中で、最初のイメージとさほど相違ないことが確認出来ました。

“組織”であるが故の弊害も、自分だけでは変えることが出来ないことも理解していました。

そんな中、好きな仕事に関わることもありました。

気の合う仲間と大変さの中での充実感も感じたこともあります。

「けど、なんか違う。」

そう思いながら流され、また思い出す。「やっぱ違う。」

「ココじゃない」なのか?「これじゃない」なのか、自分でもわかりません。

結局日常の慌ただしさの波に飲み込まれ、自分自身が迷子だったのだと思います。

好きな仕事と言っても限られた期間です。

やることも変わり、人も変わり、ロケーションも変わり、自分の感情も変わっていきます。

悔しさというより、妥協の連続であり、言い聞かせることの連続だったと思います。

「こういうものだから」とか、「みんな我慢してやってるんだよ」と言われても

その言葉を受け入れる氣にはなれませんでした。

「みんなってなに?」って・・・

“悔しい”とは思わなかったけど、自分がダサいとは思いました。

好きでもないことをやり続ける自分にはガッカリすること数えきれないくらいありました。

けど、自分を攻撃するのも自爆するのもナンセンスだということはわかっていたので「我慢」をやめました。

 

我慢をやめるとゆとりが生まれます。

誰とも比較せず

誰とも競わず

誰とも争いません。

だんだん視界が広がり、思考も穏やかになり、いろんなことが俯瞰で見れるようになります。

これまでの慌ただしさの中での思考が少しづつ変化していきます。

ゆるんでいく中で、目に映る景色が変わります。

その景色は自分の思考が創っています。

 

 

「本気じゃないから悔しさを感じないんだ!」そう思う人もいるでしょう。

けどさ、僕はそうは思わないんですよ。

なぜなら、結果にばかりこだわっていないからです。

やり切ることを優先しているからです。

もしくは、「やってないから仕方ねえな。」とわかっているからです。

 

 

もしも、“悔しい”って感情が湧いたら、その理由をうやむやにしないこと大切だと思います。

自分との対話が必要だと思います。

僕は、この先も“悔しい”と思うことはないでしょう。

なぜなら、周りを気にし過ぎず、我慢せず、後悔せず、今を生きるからです。(笑)

あなたは、どんな今を過ごしますか?

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

参考記事も、よかったらご覧下さい。

 

"組織"という箱の中にいると、比較・競争・評価・評論・相互監視が行われます。

自分さえも見えなくなり、見えなくなっていることにも気付かなくなります。

だから不満も多くなり、ストレスも溜まりやすくなります。


 

感情は押し殺すのではなく、昇華しましょう。