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僕の身近な人の中では聞かない話ですが、「ひとり=孤独」と思っている人もいるようです。
どうしてそんな風に思うのか?
そもそもひとり=孤独なのか考えてみましょう。
今日の疑問:”ひとり=孤独“?
これまで、個人の尊重・互いの尊重ということを何度も述べてきました。
人間以外の全ての存在も含め、全ての個人は唯一無二の存在だと言い続けています。
どんな組織も本来は個人の集合体であること。
個人が先、組織(チーム)は後であると。
自分の表現ではないので、細かな説明はして来ませんでしたが、「絶対無限の存在」のことが分かれば全ての存在が繋がっていることが理解できると思います。
誰もが絶対無限の存在の分身であり繋がった存在です。
表現を変えれば「あなたは私・私はあなた」ですね。
つまり、僕らは誕生した瞬間から、個人であり孤独ではないのです。
宗教的ですか?
オカルトちっくですか?
いえいえ、これが宇宙の法則です。(笑)
このことは、当ブログの“ゆるむ@お気に入りブログ”(PCでないと表示がされない?)で知り、またワークショップで直接教えてもらったことです。
じゃあ、逆にどうして“ひとり=孤独”と思うのでしょうか?
キッカケはこれまで何度も述べた通り、生まれてからの親を含めた大人たちの教え(教育)です。
ひとりはさみしいから集団がいい。
しかし、集団にはたくさんのルールがあり、今ではちょっと他の子と違っただけで“病気”扱いされ、病院に連れて行くよう促され、勝手に病名を付けられ、“危ない子”とレッテルを貼られ色眼鏡で見られたりしています。
ここで行われていることは、都合よく集団化しつつ行う分断です。
セルフイメージを低下させ、孤独を感じるように仕向けることです。
みんなと一緒じゃないと承認しないよってことです。
孤独が嫌なら、病気⁇を直し、ルールに従いなさいってことです。
このように“個性”を無視しおかしな常識を根付かせられています。
しかし、このような常識⁇を取っ払った人達が増えているのもまた事実です。
学校行かない子供・学校を必要としない子供がいるのもまた事実です。
自分のことで言えば、さみしさを感じたことはありますが、孤独を感じたことはありません。
ひとりでいることが孤独だと思ったことがありません。
兄弟がいたせいかどうかはわかりませんが、「ひとりになりたい。」とは、よく思いました。
誰がどうこうではなく、自分だけの空間・自分だけの時間が欲しいんです。
それは、何十年という月日が経った今も変わらず進行形です。
しかし、“ひとり=孤独”という考え方が多数派だということは感じています。
だからよく群がり、周囲を気にし、お互い承認を求めます。(苦笑)
けどさ、これって依存以外のナニモノでもないんですよね。
いつの時代も集団から外れてなんかしている子っていると思います。
好きなことして楽しんでいるのか?
集団が窮屈なのか?
周囲と気が合わないのか?
いずれにしても、その集団にいるよりひとりがいいと判断した証なのだと思います。
そう言えば、先週電車の中で、両手に小さなぬいぐるみを持ってひとり芝居をやっている子を見かけました。
なんか萌えました。
いや、訳もなく感動しました。
スマホやゲームをいじっている訳ではありません。
本を読んでいるわけでもありません。
ひとりで二役こなしていました。
夢中で楽しそうでした。
なんか嬉しくなりました。
これこそが“自立”って思いました。
何にも頼らず自分の世界を創造し、楽しんでいる姿に愛おしさを感じました。
お母さんは隣で目をつむっていましたが、そっと聞いていたかもしれません。
しかし、幼稚園や学校という集団の中で輪から外れ同じことをやったなら、そこに居る大人によっては「病気」とレッテルをはられるかもしれないかもと思いました。
“ひとり=孤独”ではありません。
むしろ、承認を求め依存することが孤独を生み出しているのだと思います。
ひとりで居る孤独。
大勢の中で感じる孤独。
結局、自分を生きていないと誰と居てもどこに居ても孤独から解放されないのだと思います。
「誰かが言ったから」ではなく
「誰かのように」でもなく
「誰かが見ているから」でもなく
自分がどうしたいか?
自分がどうありたいか?
年齢も世代も関係ありません。
自分を蔑ろにしたり可能性を放棄する必要もありません。
自尊心はお忘れなく。
思いのままに
感じたままに
意思を持って今を生きる。
これだけです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
何気なくやっているとおり、自分のエネルギーが好きなんです。
「何か」でも「誰か」でもなく、まずは自分を信じる。
誰かの承認より自分の承認。