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ゆるんだ思考で、日常の疑問を、一緒に考えてみませんか?

今日の疑問:「やる氣」が出ないのはなぜ?

ご訪問いただきありがとうございます。

 

「やる氣出な~い」とか言うと、どこか否定される印象がありませんか?

僕はメチャクチャ否定していました。(苦笑)

人としてどうかと思っていました。(苦笑)

けど、今は正反対です。(笑)

 

 

今日の疑問:「やる氣」が出ないのはなぜ

 

いや~働いていない僕が言うと「ただの言い訳」みたいに聞こえるかもしれません。

やる氣の出ない人達を擁護しているように解釈されるかもしれません。

受け取り方は人それぞれなので、ぜ~んぜん構いません。(笑)

 

「やる氣あんのか~」とかは言われたことが無いけど、会社を辞める前から「やる氣ゼロ~」はよく言います。

要はさ、「何に対してのやる氣か?」ってことですよね?

これ重要だと思うんですよ。

この対象になっていることがどれだけやりたいかが「やる氣」って言葉で表現されています。

 

 

やる氣が出ないのは、対象になっていることに「関わりたくない・やりたくない」ということです。

ちなみに、「何にもやる氣がない。」というのは、休みたい・じっとしていたいということです。

どこかコンディション不良の時もそんな感じです。

 

 

「どんなこともやる氣があれば出来る。出来ないことはない。」大人は言いました。

その言葉は僕には響きませんでした。

「この人はいったい何が出来てこんな事言ってんの?」と思っていました。

学校や会社では、「やる氣を出せ!」と言う人がいました。

どうしたらやる氣が出るのか考えさせられたりもしました。

また、どうしたら僕らにやる氣が出るのか(コントロールする手段)考えていました。

 

そもそもやりたくないことをやるのに、「やる氣」を求められるって変だよね!?

やる氣を出させるようコントロールするのも変だよね?

けどさ、やりたくないことをする場所に自分がいることが一番変だよね!?

なんで行くんだろう?

何しに行くんだろう?

やる氣が出ない理由なんて簡単なことです。

やりたくないことをやるのに、やる氣は起きません。

逆に「やるな!」と言われてもやりたいことは始めています。

とってもシンプルで、とっても素直だと思いませんか?(笑)

 

 

 

なのに、僕らが過ごす社会(家庭・学校・会社など)では、やる氣を求められます。

やる氣がある人は良い人⁇素晴らしい人⁇のように扱われます。

就職やバイトの面接でも「やる氣ある人探しています。」みたいなコピーを見かけます。

だからそれに合わせ、面接ではそれを演じるのだと思います。

 

僕が居た社会(学校・会社)では、多くの人が「ほどほどやる氣あります。」みたいな姿をそれとなく見せます。

なぜ程々かと言うと、あまりやる氣を見せると目立つし、変に期待されたり、利用されたりするからです。

ほとんどの人にとって、それほどやる氣が湧いてくることをする場所ではなかったからかな?と感じます。

しかも、監視されながら・・・

なんか奴隷みたいですね!?

 

会社などの組織では、コントロールする人も、くくりとしては奴隷なわけです。

奴隷の中のリーダーです。

いろんなリーダーが居ますが、その多くは「やる氣が無くても、やるべきことを最低限やってくれさえすればそれでいい。」と思っているように見えます。

 

会社勤めの時、仕事が終わってからや休みの日も、さほど好きでもない仕事のことを考えていました。

正確には仕事に関わるいろんなことに支配され続けていました。

仕事の実務的なことより、組織の中での自分の役割・組織の一員としての振る舞い・在り方を気にしていて、その為にはどうすべきか?みたいなことを考えていたんでしょうね⁇

 

 

家族も含め、いつも集団の中にばかりいると、自分は本当は何がしたいのか?

どうありたいのか?が見えにくくなります。

どうしても周りが氣になり、素直な自分思考で考えることが難しくなります。

だから、ひとりの時間・大切だと思います。

お風呂の中や、普段と違う環境でひとり過ごすのっていいと思います。

こう言うと、「子供がいるのに」とか、「忙しくてひとりになれない」って言う人います。

けど、全部自分が望み・自分が選んでいるんですよね。

「そうじゃない」というなら、堂々巡りになるのでこの辺にします。(苦笑)

 

 

やる氣なんてものはシンプルです。

誰かにアピールするものでもなかれば、認めてもらうものでもありません。

誰がどう感じようが、自分には関係の無いことです。

巷で「頑張っているね!」と言われる人って大きく二通りです。

ひとつは、好き嫌い関係なく周りの人より何かをやっている人・結果を出している人。

もうひとつは、好きなことに夢中になっている人。

この二つは全く違います。

決定的な違いは、結果や評価を気にしているのか、シンプルに好きをActionしているのかの違いです。

つまり、相手中心か、自分中心かの違いです。

もちろん、好きなことを夢中でやって結果も出て褒められる場合もありますけどね・・・(笑)

 

やりたいことは、何気なくやっています。

「暇」って言われるような時にやっていることがやりたいことです。

例えば、ゴロゴロしながらテレビを見ている。

ゲームをしている。

寝ている。

これらは全部、自分がやりたいことです。

 

僕も、誰かに言われたことをやることに慣れ過ぎてよくわかりませんでした。

けど、今はわかります。

今、やりたいことくらいはね!(笑)

どんなことでも、やりたいことが決まったら、勝手に始めています。

逆にそうでもないことって、やりたいことじゃないんじゃない!?

だから僕は、やりたくないことを求められても、「やる氣ゼロ」です。(爆)

やりたいことは、いつの間にか始めています。(笑)

 

最後までご覧いただきありがとうございます。

 

 

ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!

「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)

 

出来ました。出来ました。出来ました。

ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。

感謝します。感謝します。感謝します。

 

 

参考記事も、よかったらご覧下さい。

 

そもそも「やる氣」って?


 

やる氣云々ではなく、「今はココに居たい」ってことです。


 

「何かをしていなければいけない!」その思考こそ奴隷状態です。