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日常のいろんなシチュエーションで「~かもしれない」なんてことが言われています。
自動車学校の講習で、「停車中の車の陰から人が出てくるかもしれない。」
「だから注意しましょうね。」というテッパンの注意喚起があります。
この「~かもしれない」って言葉に何が隠されているのでしょうか?
今日の疑問:「~かもしれない」の言葉に隠れているものとは?
「~かもしれない」ってことは、まだ起きていないことです。
“起きていないことに対して、先に言葉にするのはなぜ?”って考えてみました。
「~かもしれない」は、この言葉を発する人にとっての、2番目(以降)の予想であり、第2案(以降)の案です。
ってことは、他に自分の中の“1番”が存在することを意味します。
なのに、「~かもしれない」・・・??
「~かもしれない」の言葉の裏には大きく2つのものが隠れていると思います。
ひとつは「不安」です。
「自信の無さ」と言い換えてもいいかもしれません。
もうひとつは、「曖昧さ」です。
どうしたいのか?どうするのかが決まっていない状態です。
けどさ、「かもしれない」ってことは全ての可能性があるってことだよね!?
その可能性は、全ての存在にとって当たり前なわけだよね!?
だったら、この「~かもしれない」って一言・要らなくない?って話です。
必要ないじゃん!って話です。
なのに、「~かもしれない」・・・
・何かが上手くいかなかったときの為の言い訳の先行投資?
・自分を守るための保険?
・自分の本心を隠すためのもの?
・自分に注目を集めるためのPR?
・自分の存在を特別なものに見せるための予言のつもり?
他にもいろいろあるかもしれませんが、だいたいこんなかんじじゃないかな?
いずれ、「不安)」or「曖昧さ」なんじゃないかな!?
結局のところ、自信がないだけじゃないかな?
自信がないと不安になったりしますよね!?
曖昧なのは、自信が無いからですよね!?
「~かもしれない」って言葉、自分自身も使っていたと思います。
けど、自分に都合の悪いことを忘れたせいか、具体的な出来事が思い出せません。(笑)
考えてみたら、「~かもしれない」って概念さえ自分の中には存在していません。(笑)
この状態がいつからなのかもわかりません。
たまに不安を感じることはあります。
例えば、「いつになったらコンディションが回復するんだろう?」って思うことあります。
けど、それ以上に「これやりたい」って意識が強いです。
コンディションが戻ってきたら、“あれもやりたい。あそこに行きたい。”ばっかです。(笑)
一瞬の不安は可能性によってかき消され、根拠のない自信らしきものすら感じます。
どうしてそんな風に感じるのか、自分でもわかりません。
だから言葉にすることなんて到底出来ません。
僕らが教わってきた教育には動機や根拠などの裏付けが必要とされています。
けど、言葉じゃ伝えきれない感覚・感情が最近多くなってきました。
もしかして、あなたやあなたの周りでもこんな事増えているんじゃないでしょうか?
「説明はできないけど、なんかおかしい。」
「具体的証拠はないけど、なんか違和感。」
それ、ハートの声です。
そんな風に感じたなら、それが感じた人の答えです。
物理的・理論的には説明がつかないものでも、感じた人の真実です。
「~かもしれない」
「~」の部分は、本来自分が実現したいことに置き換えましょう。
「かもしれない」なんて取っ払いましょう。(笑)
何をしたいのか?
どうなりたいのか?
自分の思考でタイムラインを想像し、創造することです。
ただひとつ、Actionだけはお忘れなく。
なぜなら、僕らが居る物質社会では、Actionがないと実現しないからです。
これまでの既成概念なんて必要ありません。
自分にとって必要ないと思ったもの(こと)、本当に必要ありません。
そして、いかなる制限もありません。
“自尊心”忘れないようにしましょう。
“自分を信じること”忘れないようにしましょう。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ゆるんだハートで『今』感じたこと、まんまAction!!
「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく。(笑)
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
石橋は、“不安”という思いがつくった幻想です。
起きてもいないこと・ありもしない幻想に振り回されるなんてナンセンスですよね。
何事も好きなもの(こと)から始めましょう。
“1番”が、ひとつかどうかはわかりません。
誇り=自尊心・これだけは忘れないでね~!