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明日は成人の日ですね。
今年は1月8日ですが、来年は1月14日です。
そもそも必要なの?
今日の疑問: “成人”とは?
日本では20歳になると“成人”と言います。
これは国などにによって違います。
時代によっても違います。
つまり、成人とは特定の人の意思を酌んで決められています。
実在するのは「唯一無二の個人」であり、“成人”は誰かによりつくられたものです。
「成人おめでとう!」
何がめでたいのでしょうか?
誰にとってめでたいのでしょうか?
成人(20歳)になったことで大きな特典でもあるのでしょうか?
酒を飲めることが特典でしょうか?
なぜこんな言葉が飛び交うのか全く分かりません。
自分が20歳になった時は、「なんかやらかした時は実名報道になるんだなあ。」ということしか浮かびませんでした。
「大人」という看板を勝手に背負わされ、要求されることが多くなっているだけと思いました。
昔、祖母が言っていました。
自分は10代で結婚し、何人もの子供をもうけたこと。
祖母の周りでも10代で親になっていた人が全く珍しさはなく、ごく普通のことだったと。
もしも“成人”という表現を使うなら15.6歳で既に成人ではないでしょうか?中学を卒業と同時に15歳で社会に出る人もいますし、16歳で結婚する人もいます。
なのに「20歳が成人」という概念・常識の刷り込みが必要なのでしょうか?
それを祝う式典などが存在すること。
自治体単位でお金を使い行われることが疑問です。
また理解する気もありませんが、理解不能です。
昔は昔・今は今、時代が違うというかもしれません。
しかし、100年もたたない間に成人(大人)の概念って大きく変わっちゃうものなのでしょうか?
いや!変わっているのではなく、変えられているのです。
何も“成人”に関する概念だけではありません。
いろんなことが“常識”として日々刷り込まれています。
「道徳だモラルだ」と言いながら、新たな常識を日々作り出し・刷り込んでいます。
また新たな常識を敷設し、浸透させようとしています。
結局は支配・コントロールしたい人たちの都合です。
年齢なんて言う数字はルールに当てはめるために必要とされているだけです。
何かの基準の目安にされているだけです。
多くの大人たちは、20歳未満の子供に対し都合よく大人扱いしている現実がいつの時代も存在しています。
支配・コントロールしている人たちのように、自分に都合よく子供をコントロールしているのです。
成人式って誰のために必要なものなのかを考えてみてはどうでしょう。
自分がその日を迎えた時、僕は「大人の七五三」と思いました。
続けられているものが多くの個人にとって本当に必要なのかはわかりません。
それを判断するのは個人です。
僕らは「誰もが個人」です。
大人=成人・子供という概念すら必要ないのだと思います。
唯一必要なのは名前かニックネームでしょうね。
このテラ(地球)という場所で肉体を持った僕ら人間もそれぞれ個性の違うエネルギーを持っています。
このエネルギーもまた、その時々の今で変化します。
エネルギーが変化しても「あなた」という存在は名前やニックネームがあることで識別され認識されます。
“成人”なんて言葉も表現も不要です。
強いて言うなら、テラ(地球)という星の星人(せいじん)です。
僕らは、「誰もが唯一無二の個人」です。
だから、僕は“自分”という「個人」を尊重しています。
そして、“あなた”という「個人」を尊重します。
耳タコと思いますがおさらいです。
「僕ら人間は、誰もが唯一無二の個人です。」
「人間以外の全ての存在も唯一無二の存在です。」
あとは、思ったまま感じたまま「今」を過ごしましょう。
少し長くなりましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
参考記事も、よかったらご覧下さい。
成人の日も、誰かの都合で何かを刷り込ませるための“イベント”です。
日本という宇宙の中のちっちゃなちっちゃな「“国”という組織」では、こんなことを刷り込もうとしています。
僕らは宇宙人であり、地球人でありますが、『唯一無二の個人』です。
「あなたらしさ」は、あなただけが持っている「エネルギー」そのものです。