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思えば子供の頃から、長い間ず~~~っと思っていました。
だけど、それってホントかな?
今日の疑問: ”正直者が馬鹿を見る”とは?
正直者が馬鹿を見る?それはないんじゃない?
自分のハートに素直なら、馬鹿を見るなんてあり得ません。
もし、馬鹿を見ているというのであれば、自分に対し偽っているってことです。
そもそも“正直者”って誰に対して正直なの?
“自分じゃない誰か?本心じゃない何か?”を、選択しているだけじゃなくて?
自分の思いと裏腹なことをしているだけじゃなくて?
僕もず~~~っと”正直者が馬鹿を見る”と勘違いしていました。
そもそも「正直者=真面目」という風に勘違いしていました。
子供の頃から「真面目にさえやっていれば必ずいいことがある」と、刷り込まれ続けていました。
学校でも、正直にものを言えば叱られるから、肝心なことになればなるほど本音を言わなくなります。
同時に、そこではない場所で不満を言うようになります。
それを言ったところで状況が変わるはずもなく、時が過ぎていきます。
更に、「腹の中で思ってもしまっておきなさい」なんて言われ、それがストレスになりました。
次第に、考えることすら面倒になり、感情を押し殺すことが多くなっていきました。
(それでも、他の子と違って、ちょっとだけ制御不能でした。笑)
こんな感じで多くの人は、諦め・妥協し、それが当たり前と言い聞かせ、いつの間にやら洗脳状態です。
顔色をうかがい「忖度」というスキルを身に着け、同時にマインド優勢の「損得勘定」というスキルまで身に着け、これも生きるすべなどと妥協し更にそのスキル?を磨き続ける人もいます。
今では確認のしようがありませんが、母の言う“真面目”って言葉の先に、“先生”や“先輩”・“上司”など、この先僕が出会うであろう“上の人?偉い人?”をイメージしていたと思います。
ですが、僕は子供の頃からずっと、神様も含め偉い人なんて存在しないと思い続けています。
何度となく言ってきましたが、特別な存在など今までもこれからも全く存在しないと確信しています。
あえて“正直者”という表現をするのであれば、「自分」という存在に対して正直であればいいと思います。
ついでに言えば、真面目である必要もありません。
もちろん、僕も真面目ではありません。(笑)
たまに真面目?と勘違いされることありますが、好きに選択し、やりたいようにやっているだけです。(笑)
全ては、思いのまま・感じたままでいいのではないでしょうか?
その思い・感性は自分だけのものです。
誰かに聞いたからといってコピーができる代物ではありません。
また、自分と考え方・意見が違ってもいいのです。
一緒である必要があるなら、相手へのリスペクトを忘れず、意見を出し合い決めればいいのです。
誰にも何にも惑わされず、対象をあなた個人に向けて下さい。
あなたがどうしたいのか?あなた自身に正直に選択してはいかがでしょうか?
ひとつの選択により、“経験”が“1”追加されます
“頭で100”考えるより、“体で1”Actionした方が、自分のタイムラインが創造しやすいと思います。
自分に正直なら、馬鹿なんて見ようがありません。(笑)
ただ、自分が創造した「次の今」が見えると思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
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過去記事も、よかったらご覧下さい。
僕自身・随分と刷り込まれて生きていました。(苦笑)
「真面目」なんて、無理だってば~~~!(笑)
馬鹿は見るものではなく、成るものです。(笑)