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お気に入りの“大量のおかき”を目の前に「あ~止まらね~。やばいよ・やばいよ。」と思い食べていました。
ですが、「ま、いっか。」ってことにして、手が止まるまで食べました。(笑)
今日の疑問: “罪悪感”とは?
罪悪感とは、“自由”を感じさせないために刷り込まれた感情です。
自信がない時に湧き上がる感情です。
「罪悪感」は集団の中の至る所に転がっています。
その中で、会社勤めをしていた時、いろんな場面を目にしてきました。
例えば、周りは残業している中、自分だけ帰るという状況です。
「何か手伝うことあります?」と言わなきゃまずいかな?と思いました。
「今日は急いで帰る理由もないから、手伝っていこうかな」とも思いました。
中には、「どうせやることないし」と、小遣い稼ぎのように“計画残業”という人もいました。
前者のような申し訳ない気持ちと、後者の人と一緒にされたくない気持ちの中で揺らぐことありました。
ある時期までは、周囲の目を気にし曖昧な気持ちのまま残ることありましたが、それまであった「罪悪感」ってものを手放してからは、迷いがなくなりました。
「罪悪感」がどんな目的で植え付けられているのか腑に落ちました。
「仕事だから」という概念も手放しました。
「やりたいのか、やりたくないのか」
「そこに居たいか、居たくないのか」
「好きか、嫌いか」
こんな基準で判断することようになりました。
このことを、あからさまにわざわざ言葉にすることはありませんでした。
だって、わざわざややこしくしたくなかったからです。
昨日のテーマではありませんが、別に嫌われることが怖かったのではありません。
上司に反発していたわけではありません。
そこは誤解がなかったと思っています。
また、お願いされたときは、その都度判断していました。
罪悪感って、ものすごくストレスで、想像以上にエネルギーが奪われます。
自分が進みたい方向と反対側に引っ張られます。
いくら自分が“心地よく”とか、“楽しく”と思ってもそうはさせてくれません。
ちょっと落ち着いて考えてみて下さい。
あなたの近くで、“ついていない人”がいたとします。
ですが、その人は自分がその状況を思考し、実現しているだけです。
全て自分が選択しています。
誰かの影響を受けていたとしても、最終判断は自分がしています。
ですが、その“ついていない人”に同調する必要はありません。
仮に、家族・パートナー・友人だとしても同じです。
「ゆるむ@は、冷たいな~」と思うかもしれませんが、世間でいう“自己中”や“協調性がない”ってことではありません。
“ついていない人”の波動に、“わざわざ”同調するこはないよ!ってことです。
“ついていない”状況の人が思考を変えることです。
“ついていない”その状況は、当事者でなければ変えられません。
支配・コントロールしたい存在は、僕ら一般大衆を自由にしたくないのです。
それ故、「自分だけよければいいの?」と囁き、“罪悪感”を広く深く根付かせようとしています。
みんながストレスをためればコントロールしやすいからです。
夢や希望を創造できないよう仕向けられています。
「抜け駆けはダメよ。」と相互監視させるよう仕向けています。
「幸せ」の概念は人それぞれですが、罪悪感があると、「幸せ」の方向に向かうことが出来ません。
“罪悪感”はセルフイメージを低下させ、波動を重くするためのものだから、今すぐ手放しましょう。
そして、個々がそれぞれの「幸せ」を創造すればいいと思います。
だって、自分の現実は自分の思考とActionで実現しているんだもん!
もしも“罪悪感”を感じたなら、なぜ、そんな風に感じるのかを考えてみて下さい。
それを繰り返すうちに、支配する側が巻き散らかしたいろんな“仕掛け”から、自力で抜け出すことができます。
あなたの「今」の思考が「次の今」の現実を創ります。
それは、誰も代行出来ません。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
ゆるんだあなたが『今』感じたこと、まんまAction!!
そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。
感謝します。感謝します。感謝します。
過去記事も、よかったらご覧下さい。
いろんな“仕掛け”や、周囲にも惑わされず、自分の感覚を信じ・考えてみて下さい!!