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昨日は行く先々で、新入生らしき子供たちを見かけました。
その子たちって、親をはじめとした大人たちに、こんなこと言われたりするのでしょうか?
付け合わせの「苦労話?」・「不幸自慢?」と一緒にず~~~っとこんなこと言われていました。
そもそも「若い時」って、いつからいつ?
今日の疑問: 「若い時の苦労は買ってでもしなさい」とは?
買うものでもなければ、持ち込むものでもなく・背負わさられるものでもありません。
それはただのミスリードであり、理不尽な罰ゲームです。
なので、老若男女・年齢問わず、「苦労の買取」は、必要ありません。(笑)
じゃあ、なぜこの言葉が存在するのでしょうか?
まず、「楽しいこと・やりたいこと」で・は・な・い・こ・と・を、やっているからです。
それが集団となり、「少数の指示する側」・「多数の指示される側」が存在します。
そもそも“指示される”って嫌じゃないですか?
指示する人が嫌な人だったら益々嫌になります。
「指示」がエスカレートすると“命令”に変わります。
更に「恐怖」を植え付け・“強要”に発展します。
これは、身近な親子関係でも普通に起きています。
親が、「子供のため?」というトンチンカンな大義名分を盾にし、過剰に介入し、「苦労することがあなたのためだよ!」と恩着せがましく話すわけです。
子供にしたら、「わざわざ・・・」「何で?」となるのですが、スルーされます。
ですが・子供は、それを繰り返し言われることで、潜在意識に刷り込まれ、「嫌!」と思いながら、自らその思考を受け入れ、尚且つ・習慣化されています。
「その思考」をもって、「楽しくない現実を創るトレーニング」をしています。
これが、以前の僕自身です。
割かし抵抗していましたが、結果として妥協していました。
それでも自分の中では違和感を感じることだったので、諦めきれなかったのでしょう。
ある時、子供時代の自分を思い出し・振り切れました。
中学生の頃、「もうサッカーが出来ないかも・・・」という時期がありました。
その頃でしょうか?「何をやっても楽しくなければ意味がない!」と思うようになりました。
その頃の僕はサッカーに夢中で、サッカーをしに学校に行っていました。
学校(授業)を休んだ日でも、学校に向かっていることもありました。
ですが、周りはの同級生たちは、両立を目指していて、試験近くになると、周りがどれくらい勉強しているかの探り合いをしながら、「全然してないよ~」とか、「少ししかしていないよ~」なんて・・・
そういうヤツは、シッカリ勉強していい点とってたりしていました。(笑)
僕は、なんとなく興味が湧いた・数科目以外の授業は、テキトーでした。
夜遅くまでサッカーした後、帰って勉強するふりはしていましたが、実際はやっていませんでした。
母には、成績が下がり続けたことで、「部活を辞めろ!!」と言われ続けていました。
まるで、サッカーが悪いかのように・・・(苦笑)
後になって母から聞いたのですが、担任の先生に相談しにいったそうです。
その時「サッカーを辞めたらだめになる」と言われたそうです。
担任の先生は僕がどれほどサッカーが好きか知っていた?そうです。
母は、担任の話は受け入れつつ、「勉強だけでなく、何をやるにも、“自分から苦労は買って出るもんだ”な~んて言っていました。(大汗)
もちろん、完全スルーです。(苦笑)
結局、苦労の押し売りと共に、「やりたくないこと」を、”やらされている”ことが多いのです。
だから、誰かが楽しんでやっていることの、ほんの一部分を見て、「スゴイけど、大変そう」と、楽しくないことをやっているように表現する人がたくさんいます。
実際はそれをやりたい人が、やっているだけなのに・・・とんだ勘違いです。(苦笑)
『苦労』の買い取り、必要ありません。
「大人?」を気取った人たちに惑わされず、赤ちゃんの「素直さ」を思い出して下さい。
大丈夫です。僕らはみんな”元・赤ちゃん”ですから。
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そしてあなたは、「今」も・「次の今」も、心地よく楽しく過ごします。
出来ました。出来ました。出来ました。
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過去記事も、よかったらご覧下さい。
”はじまり”から、違うんじゃない?
これは、やりたくないこと!!
これは、やりたいこと!!!!!(笑)
大人になる必要ありません!(笑)